良くも悪くも、これまで私は周囲の人の価値観を内在化して生きてきたような気がします。
それは確固たる自分の価値観というものがないためだと思います。
何故そんな人間になっているのかという理由を突き詰めて考えると、1つ目は現代人だから、2つ目は生育環境、3つ目は自分の特性ということに思い当たります。
1つ目については、おそらく現代の日本人に特有の状況があると思います。
敗戦によってそれまで持っていた価値観を叩き壊された後遺症、とでも言うのでしょうか。
第二次世界大戦・太平洋戦争は、端的に言って日本人の精神というものを賭けた戦いになってしまっていました。
何を信じるか。何に価値を置くのか。何を守るべきか。
それが粉微塵になってしまったのが敗戦です。
敗因となった、日本人の戦略としたたかさの欠如(言い換えると滅びの美学であり高潔な精神)は、おそらく日本人独自のものだったと思います。
負け戦で潔く散るのは天晴れな日本のサムライではありますが、残された遺族すなわち私たちは所持品一つない状態で焼野原に放り出されました。
それ以上に悪いことには、信じる対象が破壊されていました。破壊したのは連合国だけではなく、私たち自身もそうしたのです。
サムライの価値観は、私たちが生きていくためには否定しなければならなかった。ですが、価値観の否定は別の価値観を意味しません。
戦後の私たちは、戦前の価値観を否定することは出来ても、よって立つ別の価値観をいまだに持つことが出来ないまま、糸の切れた凧のように風に吹かれて漂っています。
自己否定の先にあるのは虚無。
明日に続きます。
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