大学のゼミの先生が、学説などを批判するときによく使っていた言葉が「あれはイデオロギーだ」というものでした。
つまり論理性や客観性がなく、ただ信じ、信じさせているだけのものだと言いたかったのでしょう。
その言葉が30年以上も私の頭の中で引っかかったままだったのですが、その理由は自分でもまとまっていません。
ただ、今思うのは法律や法律学そのものがドグマというのかイデオロギーなのではないかということです。
例えば、日本国憲法98条1項は憲法の最高法規性を述べているものですが、それは何も前提なしにそのように言っているだけです。つまり、憲法が他の法規範に優先すると憲法自体が宣言している。Wikipediaにすらそれが論理学的には循環論法だと書かれています。
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循環論法 - Wikipedia
誰が、何が憲法にそのような統治力を与えたのかというと、それは憲法自体です。
つまり、憲法が最高規範となる世界は、憲法をそうだと「考える(論理的帰結)」人ではなく、そうだと「信じる(そうであって欲しいという願望、そうあるべきだという信条)」人から構成されています。
よって、法律を守らなければならない世界とは、その法律が単なる文字ではなくて守られなければならない存在だと「信じて」いる人によって社会が構成されている世界です。守らないと守るよう実力行使を受ける、ということはそういうことです。
私は論理学には疎いのですが、いかに法律学が論理を重視しているとしても、おおもとの前提に論理がない以上それは宗教と同等の水準のものに思えます。
冒頭の先生は、政治思想や宗教のようなものは法律学に比して劣ったものだというニュアンスでおっしゃっていたように記憶しています。
ですが、いまだに私にはその違いはよくわからないままです。
信念 - Wikipedia
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