夏目漱石の坊ちゃんではないですが、私は子供の頃とても負けず嫌いだったようです。自分では記憶していないのですが、小学校一年生の時の運動会の100m走でビリになって悔しくて泣いてしまったそうです。私は子供の頃から小柄で、小学校の頃はずっと前から2番目くらいの背の高さだったので、身体が小さい分余計に負けず嫌いが目についたのかも知れません。
おそらく、誰か特定の人に勝ちたいというのではなくて、自分が負けていると認識したくないのでしょう。
社会で「勝ち組」「負け組」という言葉が使われるようになったのは、バブル崩壊の後ではなかったかと思います。
例えば私の知人で、政府系金融機関の人と社内結婚して都内の湾岸のタワーマンションに住んでいる人、夫はエリートで鎌倉の一戸建てにお住まいの奥様など、多くの勝ち組に該当するようながいますが、負けず嫌いの私でも別段羨ましいとは思わないのです。
学歴や結婚相手や年収で決まるのが勝ち組であるとしたら、私は負け組で間違いないです。私の年齢だと、それに加えて子供の通う学校や就職先だったりするようです。私には子供はいないので不戦敗でしょうか。
そもそも鬱病になって以降、自己評価をどうやってマイナスからゼロに戻したらいいのかわからないままでいます。誰かと比較する以前の問題です。
今の私の関心は社会的地位や金銭にはなくて、自分に与えられた運命とのせめぎ合いというのか、与えられた条件の中で自分にとって最大の効果というかアウトプットを出したいと思っているので、私にとって他人との比較は無意味になったのかも知れません。
人を勝ち組・負け組という評価軸でしか見ない視点には、何か重要なものが欠けていそうです。
Comments