落魄

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昨日の続きです。

私は能が好きなのですが、能の中で演じることが難しいとされる演目(秘曲)は、「老女物」「姥物」というジャンルとされています。その中の例えば晩年の小野小町が主人公の「関寺小町」は、滅多に上演されない最も難しい曲だという評価です。

e国宝 - 能面 姥
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若くもなく美しくもない老婆(かつては若く美しかったことも感じさせなければならない)を演じて、なおかつ一種の老残の「美」を感じさせなければならない。演じるのはたいていが男性で、女性の声色を使う訳でもありません。老婆なので、派手に舞うこともありません。衣装も地味なものと決まっています。

ルッキズム・エイジズムからは最も美しくないとされる存在を演じることに、至高の美を見出す。日本文化が他に類を見ないほど洗練されているのは、そんなことからもわかります。

ただそこにいう美というものは、若く美しかった本人の過去との対比、能を離れた現実社会では老婆は最も美とは遠い扱いをされていることとの対比が前提になっているような印象があります。唯一の拠り所である若さと美しさを失った存在にあえて美を見出す(落魄の美)ということなのでしょう。

では、若い頃美しくもなくその若さを失った私という存在はどうなのか、ということをつい考えてしまいます(笑)。

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