痛み

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面と向かってそのようなことを発言する人はあまり見かけないのですが、SNSなどの書き込みで相手を罵倒する時によく使われている「精神科に行け」という言葉を見かけるたびに心が痛くなります。もちろんそれが自分に向けられたものではないことは明らかなのですが、実際に精神科に通う者としては読むことが辛いです。

おそらく相手の発言がおかしいであるとか、認識が誤っていていて会話が成り立たないなどという意味でそのようなことを言っているのですが、捨て台詞というのか揶揄というのか、その人を貶めるというのか、罵倒の最終手段として使われていることが多いようです。

精神科に通う人のほとんどは、「頭がおかしい人」ではなくて不眠症や鬱などの病気を抱えたごく普通の人です。

私の父は以前精神科は気違いが行くところだと言っていましたが、上の世代だけではなくまだまだ若い人でもそのよう認識なのでしょう。亡くなった夫の母は統合失調症でしたが、夫の父が近所に知られたくないという理由で隣の市の病院に通院させていました。

鬱になって初めて病気に行った時に、総合病院だったので受付で問診の紙を書いたあとどこに行けばいいか迷っていたら、係の人が私の「どうしても仕事にいけないんです」という言葉を聞いた途端に困ったように薄笑いで声をひそめて「うーん…そんなウツみたいなのは…多分精神科だと思いますよ」と言ったことが、何故か記憶に残っています。公立病院で働く人であっても、精神の病気については何となくはばかりがあるものの言い方になるというのか、他の患者に会話が聞こえないように注意するのだと知りました。

精神の病気になった経験から言うと、確かに鬱などの脳の病気で認知が歪むことはあるのですが、それは他人を傷付けると言うよりは自分を傷付ける場合の方が多いような印象を受けています。また、最近では発達障害者は迷惑をかける困った存在だという認識が広まっていますが、誰よりもその障害で困っているのは本人なのです(本人があまり困っていない人格障害とはまずここが違います)。

今、様々な差別(人種・ジェンダーなど)が問題になっていますが、精神の病気と発達障害に対する偏見と差別は、おそらくあらゆる差別・偏見のうち最も根深いものの一つだと思います。しかも、当事者は闘病中であったりとなかなか声を上げることが難しい。

このブログを立ち上げたのは、そんな状況を少しでも変えたいと思ったことが理由の一つですが、まだ端緒にもついていないという感じです。

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