新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、戦争に匹敵する出来事のようです。そのため、日本社会は戦前からあまり変わっていないということが徐々にわかって来ました。
私は戦争を体験してはいないですし、これまでずっと平和な社会のもたらす利益を享受して来たので、平和ボケの見当外れな意見かも知れません。ですが、資源のない島国ならではの社会のあり方というものが、敗戦にもかかわらず無自覚に受け継がれているように思われました。
和をもって尊しとなし、出る杭を打つ。
空気でものごとを決め、責任の所在はあいまいにしておく。
ケガレとハライの思想。
理屈より感情(精神論)。
完璧主義。
修正が効かない硬直した官僚主義。
戦術にはたけていても戦略を立てるのが苦手。
良くも悪くも国民性なのでしょう。発達障害(ASD)の私は、さしづめ非国民です。
日本は、戦争を放棄することにより、敗戦それ自体を「水に流して」しまったように私には思われます。
「戦争に負けたのは、軍国主義の日本が悪かったからだ。だから平和こそ日本の取るべき道だ」という理屈は、前提が誤っています。
イデオロギーの観点は別にして、戦争に負けたのは日本が「悪かった」からではなく、戦勝国より多くのミスをしたからです。そして同じ負けるにしても、被害を最小限に抑えることが出来なかったというミスも重なっています。
戦争は悲惨なものです。特に、栄光の与えられない負け戦はそうだと思います。小学一年生のときに、学校で前置きなしに原爆の実写映画を観せられたときに感じた恐怖は、おそらく生涯忘れないと思います。沖縄戦や空襲や原子爆弾の投下などは、ミスの一言で片付けるにはあまりに悲惨です。
ですが、悲惨さを感情に訴えるだけではまた同じことが繰り返されます。感情は、その時々によって移ろうものだからです。
終戦から約80年経っていますが、今からでも遅くないと思います。難しいとは思うのですが、イデオロギーや感情抜きで、あの戦争の徹底的な「検証」をすべきではないかと思っています。繰り返さないためにも、なぜ負けたのかをとことん分析する。まだ証人がいるうちに。
憲法の話を抜きにして、そして核などの大量破壊兵器の是非は別として、戦争はあってはならないタブーではなく、日本人のDNAに刻まれた原罪でもなく、外交手段の一つです。当時なぜ戦争以外の外交手段を失ってしまったのかも検証すべきでしょう。
成功よりも、失敗から学べることは多いのではないでしょうか。
そうしなければおそらく、日本人の精神はトラウマに蓋をしたままで成熟出来ず、日本の歴史は前に進まず、永遠に「戦後」のままです。
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