昨日、職場の上司のことを偏見があるというように書きましたが、人間誰しも偏見を持っていると思います。
鬱病になるまでは、私自身にも精神疾患に対する偏見がなかったとは言い切れません。自分は精神力が強いから精神疾患などにはならないと思い込んでいたからこそ、鬱病の治療が遅くなってしまったのだと思います。
早期に治療ができなくてこじらせてしまった結果、職場には多大な迷惑を掛けたことは事実です。
ですが、長いこと会議などに出られないことが続いていたことから、ずる休みをしているのではないかという目で見られていたのも事実です。何度も診断書を提出するよう求められ、それが部署すべての人に回覧されたりもしたようです。
もちろん仮病を使っていたというのではなく、本当に体調が悪かったのですが、具体的にどのように具合が悪いのかをうまく伝えることが出来ませんでした。
何もできない状態が続いていたのですが、それをせいぜい疲れ切っているとか、体が動かないとか、そのような言葉でしか表現出来ません。疲れているという状態は誰でも経験することなので、それがかえってよくなかったのかも知れません。大したことがないように受け止められていたのでしょう。
鬱病の辛さは、なったことがない人には本当にはわからないと思いますが、それ以外にも言葉にしがたい辛さがあって、それをうまく言い表した言葉をこれまで目にしたことがありません。
そんなことも、偏見を助長しているのではないかと思っています。
Comments