写真は、先週の土曜の夜の京都駅前です。早々と京都タワーも灯りを消して、バス停にも人がほとんどいなかったです。
新型コロナの件でわかったのは、世の中には感情で行動する人がかなり多くいるということでした。新しいウイルスが流行しているというと、それだけで恐怖心が湧くということはもちろん理解出来るのですが、その内容を客観的に判断するのでなく、恐ろしいという感情が先に立ってしまう。
そして、社会はそのような人のことを慮り、また、そのような人からの面倒なクレームを恐れて、ことなかれ主義でことをなす人や、何も考えない方が楽なので、上からの指示や多数の声にただ流されて従う人も私が考えていたよりも多いようです。
また、人の思考の脆弱性というのか、全か無かという思考は簡単なので楽なのですが、是々非々というのか全体のバランスを考えることの方が難しいこと、当初の目標にこだわってそれを柔軟に変更することが難しく、そのうち手段が目的化してしまうことを感じます。
80年前にも、このような総力戦・玉砕戦に向かわざるを得ない状況があったのでしょう。
京都タワーの灯りをつけることと新型コロナにかかって亡くなることの因果関係を精査せず、周囲の目を気にして声の大きな人に従う。
それに象徴されることは、回り回って経済的弱者を痛めつける。
私にはそのように思えます。
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