合理性

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少し前に「子供部屋おじさん」という言葉が話題になっていました。要は成人しても親元に住む男性のことを揶揄する言葉だと思うのですが、是非はどうあれ、特に家賃の高い場所では親元に住むというのは経済的に合理性のある行為です。かつては、男性に限定せず広く一般的にパラサイトシングルという言葉が使われていたと思います。

私の友人(首都圏出身の女性)のほとんどは就職しても親元に住んでいました。バブルの恩恵もあったのか彼女たちは競うようにブランド品を身に付け、年に一度は女友達と海外旅行に行くような生活をしていて、それなりの規模の結婚式を挙げて寿退社して専業主婦になり、首都圏にマンションを買って住んでいる、といった感じです。短大卒の友人の典型例が、誰もが名前を知っているような大手企業に一般職として入ってそこで結婚相手を見つけたという人で、私の周囲は多かれ少なかれそのような人ばかりでした。四年制大学を出て総合職で入社した人でも、少なくとも私の周囲ではそのような人は結構いました。

たまたま私の友人にそのような人が多かっただけなのかも知れませんが、彼女たちを見ると、自分と比べて堅実というのか実に賢い生き方をしていると思います。リスクは最小限に、メリットは最大限にということを実践しています。

それなりの生活費を親に払っていたとしても、親元にいて家賃がかからないだけでも生活は全然違うと思います。そうでなければ、それほど多くの人がそうしていた筈はありません。実際私が新卒だった時には、薄給だったこともありますが不便な場所の狭くて壁の薄いワンルームマンションを借りていたのに、収入の半分が家賃に消えていました。

特に、女性は結婚するまで(場合によっては結婚後でも親と同居でも)親元にいても何か言われることはあまりないので、雇う方もそれを見越して一人暮らしだと生活が成り立つかどうかのギリギリのラインのお給料しか出さないという部分があるのではないかと思います。

私たちの親は団塊世代なので何かにつけ得をした世代ですが、それだけに経済的に子供の面倒を見ることも出来るのでしょうし、その子供世代を雇う側も人件費が安く済むことで間接的に恩恵を被っていたと言えるでしょう。

ですので、男性であっても親元に住んでいるという人は、経済的合理性のある選択をしているのです。別段家族以外の誰かに迷惑を掛けている訳でもないのに、子供部屋おじさんなどと揶揄されるのは心外かも知れません。

都会で貧困生活を送るというのは、実態はどうあれ主観的にはかなり悲惨な体験です。経済格差が可視化されているからです。仮にそうでなくても、親に頼ることが出来る人は頼った方が賢いと思います。大学卒業と同時にほぼ一文なしで親元を追い出された私は、長い間極貧と言っていい生活を送りましたし、有閑マダムの友人たちとは違っていまだに海外旅行とはご縁がないです(笑)。

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