印象

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かつて法律事務所に勤務していた、と言えば何となくお堅いイメージだと思うのですが、それをバブル末期の頃にいた勤務先が六本木と赤坂の間にあった、と言い換えるとまた印象が変わるかも知れません。

私は東京生まれでも杉並区や多摩地区にずっと住んでいたので、六本木や赤坂などの夜の街にはそれまで無縁の生活でした。高校や大学の頃でも、繁華街と言ったらせいぜい新宿や渋谷あたりに出かけるくらいだったと思います。

今はどうかわからないですが、とにかくそのあたりは当時は都内にしては交通の便があまり良くなく、しかも道路が始終渋滞しているところだったという印象が強く残っています。飲食店やクラブ(当時はディスコと言っていました)が多いせいか、私が出勤する時間帯にはそれらの店のものと思われるゴミが道路に散乱していることも結構あったように記憶しています。

勤務先には四谷や赤坂見附からバスで向かう人や渋谷からバスを利用する人が大半でしたが、道路もバスも混んでいることが多く、職場の人と乗り合わせるのも何となく嫌で、歩く時間がある時には歩いていました。朝は国会議事堂前で地下鉄を降り、途中にあったドトールでカフェインを補給することにしていたのですが、今地図を見たらもうそのドトールはなくなっているようです。時には帰りに迎賓館の前を通って四谷まで歩いてみたりしました。全体にゴミゴミしている東京ですが、迎賓館の前の通りは視界が開けていて緑もありました。

薄給だったので赤坂や六本木で遊ぶお金があろう筈もなく、そんな時間もなく、ただひたすら通過するというのか歩いていた記憶だけがありますが、どうして当時はそんなに歩いていたのか自分でもよくわからないところがあります。しかも、東京タワーのそばだったのに東京タワーを目にした記憶がまったくないのが不思議です。

同じ職場の人の中には経歴も服装もとても華やかな人が多く、一種キラキラした世界ではありました。そんな中で、ただ歩いているだけの私(笑)はひどく場違いというのか浮いていただろうなと思います。

六本木ヒルズなどができるずっと前の話です。

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