以前、大学院を除いて進学はすべて親の意向に従ったというようなことを書きました。
一年受験勉強をして中学受験をしたのに親の都合で呆気なく転校になったことも書きましたが、大学も自分がほとんど名前も知らず、従って一度も行きたいと思ったことがなかったところを受けました。私の学力では私なりにかなり頑張らないと受かりそうもなかったので、やはり一年くらいは受験勉強ばかりしていました。
合格した時には私本人よりもずっと喜んでいたようなので、その時には安心したというのか悪い気はしなかったのですが、その後が問題です。
何が辛かったのかと言うと、親の憎しみの的になってしまったことです。親自身が行きたかったところだったのかどうかは知らないのですが、卒業直前になってとあることで爆発した時の親の言葉によれば、そこそこというのか親よりは偏差値の高い大学だったため親の学歴コンプレックスが刺激されてしまったのだそうです。
大学主催の新歓合宿に行って帰って来たら、何故か親のへそが曲がっていたというのかひどく不機嫌だったことがその始まりでした。大学生の頃の記憶と言えば、不機嫌な親の気分に振り回されていたというのか、親の気分を害さないために家庭ではいつも神経を張り詰めていた記憶しか残っていません。
どうすれば親の気分を害さずに済むのか、自分のどこがいけないのかもわからないままだったのですが、その親の言葉を聞いて驚くと同時に理不尽だと思いました。
親の希望だからそうしたのに、その次にはそれが親にとって不愉快だと言われる。
つまりどうすればよかったのかという問題ではなく、結局私が何をしても気に入らないのです。それは私という人間の存在そのものが不愉快なのだという他はなく、対処するとするならそれを消す以外に方法はないのです。
記憶を辿ると別段大学生の頃に限らず、両親と伯父伯母は何度となく私にはそのような態度をとっていました。
それがダブルバインドというものだということを知ったのは、それから20年近く経ってからのことでした。
シンプルな例ですが、例えば少し離れて住んでいた伯父伯母の家を挨拶がてら訪問すると、二人ともどうしてしばらく来なかったのかという態度。それが少し話しているうちに、どうして来たのか(さっさと帰れ)という態度になるのです。そして帰ってしばらくすると、電話などではどうして最近来ないのかという態度に戻る。延々とその繰り返しです。
その矛盾は、言葉でそれを表現するのではなくてあくまで態度で表します(言葉にするとおかしいことが明白なので、そんなことはしないけれども態度であからさまにする)。
された側からしてみたら、行っても非難される、行かなくても非難されるというのでは対処の方法はないのです。黙ってその態度に耐え続けるか、関係を断つか、自分の存在を消す以外には。
鬱になったのも、そのような経験が積み重なった結果だと思います。
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