最近、自分は歴史の流れの中の一粒の砂に過ぎないという思いが強くなりました。
時という水の流れになす術もなく洗われ、どこかへ運ばれる砂。
それは、おそらく歳を取ったからなのではないかと思います。
ある程度歳を取らないと、私のような凡人は時の流れを把握というのか俯瞰出来ないようです。
発達障害なので、時間の感覚がそうでない人とは違っている可能性もありますが、ともあれ長く生きれば生きるほど、自分の存在が小さく思われます。
砂のイメージは、自分の持つ残り時間を示す砂時計とも重なって、はかなく過ぎ去るものを象徴しています。
砂には、宇宙の大きさはわからない。
自分がどこから来てどこへ行くのかもわからない。
砂が集まってどんな形を作っているかを、自分の目で見ることもできない。
砂なのだから、それは仕方のないこと。
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