幻想

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山科の琵琶湖疏水沿いの桜と菜の花です。

とても情けない話なのですが、もし私が小さな子供に「どうして税金を納めなければならないの?」と聞かれたら、納得してもらえる答えは出来ないのではないかと思います。

税がないと社会が成り立たないから、という一般的な答えは一見妥当なように思えますが、本当にそうでしょうか。

ある高名な税の研究者は、国家の果たしている役割のほとんどは民間で代替が可能だと言います(郵政事業の民営化のように、例えば国防ならば傭兵という形で私人が担うことが出来る)。ただ一つ、弱者の救済を除いて。

つまるところ、究極的には社会的経済的弱者の救済のために人は税を納めるのだということになります。

その答えで、小さな子供が納得するでしょうか。

それとは別にもう一つ検討すべき点があって、仮に弱者救済が社会の維持に欠かせないとして、その主体がなぜ国家でなければならないのでしょうか。

個人でも家族でもなく企業でもなくEU共同体でもなく、国家が税を用いて弱者を救済するということの意味。

おそらくそれは歴史的経緯からそうなっているのだと思われるのですが、それ以外の理由として、人には自分が帰属する地理的民族的歴史的(場合によっては宗教的)存在としての、国家という「幻想」があるのではないでしょうか。

何かがあったら自分を守ってくれる代わりに、何かがあったら自分が守る(自分が国家を主体的に守るという意識は、島国の日本では平和憲法があるためか希薄ですが、それはさておき)。そんな存在。そんな幻想。

「国」というものは現実のものとして存在する訳ですが、その姿は目には見えません。国の果たす機能を、立法権・司法権・行政権と言い換えたところで、ではなぜ国にそれらがあるのかは一言では言えない。あるいは、国民主権なのだから「国=国民」と言えなくもないですが、それは自分たちの面倒は自分たちで見ると言っているに過ぎず、国を単位として課税し弱者を救済する理由にはなりません。

結局のところ、各国で制度や歴史は異なりますし、人によって国家観も違っているので、さしあたっては現実の存在としての「国」とは異なった抽象的・観念的なものが、課税の主体でありかつ弱者を保護する国家である、というほかにはないような気がしています。

それを幻想と呼ぶのは乱暴かつ行き過ぎかも知れませんが、ある面では真実なのではないでしょうか。

国家という幻想を維持するために、人は納税する。

そのあたりのことを小さな子供に説明するのは、やはり難しそうです。

個人的には、家族というものもまた幻想の一つではないかという感覚を抱いています。奇しくも「国家」という文字には「国」と「家」が含まれていますが、家族についてはまたの機会に…。

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