人は様々なことに理由や意味を求めます。理不尽なことを経験したときには、納得したいという気持ちから理由やその意味するところをあれこれ考える。
鬱になって辛かったことの一つに、全てを悲観的に捉えてしまうようになるのと同時に、それが自分のせいだと考えてしまうことがありました。
普通に考えて、物事全てが自分のせいで悪くなるということはないし、理由のつかないことや誰のせいでもないことも多いのに、何しろ鬱で思考回路が閉じているため、ぐるぐると考えて理由を探してしまう。
実際には理由はなくても、ないということに納得出来ないので自分の存在そのものを理由にこじつけてしまう。
例えば、職場の人がたまたま不機嫌そうな表情をしていただけなのに、それは鬱で迷惑をかけている自分のせいだ、と思ってしまうようなことがありました。
あるいは、こんなに何も出来なくなって周囲に迷惑をかけている自分は一体何のために生きているのかと考え、意味や理由が何もないことに絶望する。生きている理由は何もないから死んだ方がいいと思ってしまう。
生きているということそのものは単なる自然現象であって、それ自体には何の意味も目的も理由もない(もちろん異論はあると思います)ということを飲み込むのに、とても時間がかかりました。
そのようなことを真摯に突き詰めて考えた人の一人に、哲学者の池田晶子さんがいたのではないかと思います。
鬱ではない人にも、池田さんの書籍はお勧めです。
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