80年代にアメリカに行った時には、アメリカの人は歴史を大事にしているという印象を受けました。日本人の感覚では少し前くらいのものでも、「古いから貴重だ」という態度だったのを覚えています。私が訪れたメイフラワー号でもセイラムの魔女博物館でも、解説してくれる係の人がとても誇らしそうでした。
それが今、黒人差別に抗議するデモに参加した人によってコロンブスの像が破壊されたり、映画『風と共に去りぬ』の配信が一時中止になったりという事態になっているようで驚いています。
出来事が事実として存在するというだけでは「歴史」にはなりません。それをどのように解釈して位置付けるか、という作業が出来事を歴史として扱うときには伴います。
よく、現代の価値観で当時のことを裁いてはならないというようなことが言われます。アメリカが、ヨーロッパから移住して来た人が先住民から土地などを奪って作られた国であり、奴隷制により経済的発展を遂げたことは事実であって、当時はそれが正義とは言えないまでも、間違ったことだとは思われてはいなかったことでしょう。その過去があるからこそ現在がある。
コロンブスや奴隷商人の像を破壊する行為には未熟さがあります。過去を単純に否定するのではなく、過去にどんなことがあり、それはなぜ起こったか、それにはどのような意味があるのかということを冷静に検証する方が有益ではないかと思います。
戦後の日本はそれを怠ったというようなことを以前書きましたが、ベトナム戦争の扱い方などから見ても、アメリカの人ももしかしたらまだあまり歴史との向き合い方を知らないのかも知れません。
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