以前何度か、鬱で15年以上もの間健康な人と同等には働けなかった間職場に繰り返し診断書を出さなければならず、それが部署全員に回覧されたというようなことを書きました。
それは皆さんの不満や反感が大きく、納得出来ないということに他なりません。そしてなぜ納得出来ないかといえば、「たかが鬱」(気持ちの問題で気合いなどで何とかなるという先日の議員のような思い込み)であることに加えて、それが「本当に病気なのか」(仕事に差し支えるほどのものか)という思いがあるからです。
要は、鬱(という「気分」)を口実にさぼっているのではないかと思われていた。
鬱病は、見た目だけではどれほど辛いかわからない病気の典型例だと思います。しかも私の場合には回復にひどく時間がかかったため、仮病ではないかと疑われる余地があったことは否定できません。
ずっと周囲のそれとない自分に対する不満や反感を感じながら肩身狭く仕事をしていた訳ですが、面と向かってそれを言う人はおらず、遠回しな言い方や人伝てあるいは雰囲気でそれがわかる感じで、そのため説明や釈明などの機会さえありませんでした。
おそらくマタニティハラスメントを受けながら働く人も、似たような立場にあるのではないかと思います。
表立っては批判できない精神の病気や妊娠出産であるが故に、反感が増幅されるところがあります。
そしてことの本質は「思いやり」の有無云々などではなく、そもそも病気で苦しんでいる人や人として当然の権利である妊娠出産を迷惑に感じて反感を抱いてしまうほどの仕事量があることです。
それは、端的に人員が不足しているかあるいはギリギリで仕事を回している状態なのであって、バッファを作っていないマネジメントする側の落ち度に他なりません。
ですが、組織にいる人間とは不思議なもので、上の立場の者に対する不満よりも同等か下の者に対する不満の方が正当なものだと感じてしまう傾向があるようです。
もちろんクビにならなかったことは有り難いことですし、休んでしまった時に仕事を代わってくださった人たちにはとても感謝しているのですが、職場に漂っていた不満と反感が、回り回って同時期に鬱病になった同僚の死につながっています。
抗鬱剤を増やしたおかげで私は健康な人と同等に働けるようになった訳ですが、それから2〜3年して驚くくらい体重が増えたので、その「見た目」でやっと仮病ではなかったとわかった職場の人も多いようです。挨拶したり目を合わせたりしてくれるようになりました(笑)。
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