自分が相貌失認だということに気付いたのは、最近のことです。
私は人の顔が覚えられず思い出せないのですが、それまで気付かなかったのは、実際に誰かを見た時に誰か識別出来ないというのではないからではないかと思います。
努力して誰かの顔を思い出そうとすると、自分が見たことのあるその人の写真に写った顔なら思い出すことが出来ます。
どうしてなのかはわかりませんが、例えば母の顔を思い浮かべようとすると、ある写真に写った母の顔が浮かびます。それは母の若い頃のスナップ写真なのですが、なぜその写真なのかはわかりません。変顔に写っているものなので、記憶に残ったのかも知れません。それに次いで、別の複数の写真に写った母の顔が浮かぶこともあります。どれも古い写真で、それ以外の、例えば最後に会った時の母の顔は思い出すことが出来ません。最後に会ったのは身内の葬儀の時だったのに、その時母がどんな顔をしていたのかはまったく思い出せないのです。
つまり、私にとって母の顔というのは昔の変顔をした写真の顔なのです。それで特に不都合がなかったとはいえ、例えば嬉しい出来事の時の母の笑顔の記憶もなく、写真の映像記憶がない人のことは、鼻や目は思い浮かんでも顔全体の像が浮かんで来ません。
この記事を書こうとして調べたら、人の顔のみならず頭の中に映像を想起することが難しいアファンタジアという概念があることを知りました。
ざっと調べたところ、アファンタジアは私に似たところがありました。私にもイメージを描く能力が乏しいところがあるようです。ですが、イメージを頭に浮かべることがまったく出来ないかというとそうではないです。
ですが普通の人は例えば小説の描写を読んで、頭にその映像やイメージを思い浮かべることが出来るということを知って驚いています。私が思い浮かべることが出来るのは、自分の目で実際に見たことのある映像だけだからです。
アファンタジアについては、もう少し調べてみたいと思います。
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