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日本学術会議の委員任命をめぐるいざこざを見て、大学で学んだ知識が役に立つか立たないか、ということを考えました。

役に立つというのは、お金になるということとほぼ同義です。

以前何度か書いたように、私は親の意向で法学部に進学して後悔しています。確かに生活する上で法律の知識が少々役に立ったこともありましたが、結局それは損得がらみのことに過ぎません。

ただ、私なりにではありますが、大学では物の考え方の枠組みの一つを得られたのではないかと思います(無数の枠組みのうちのたった一つなので、もっとそれを増やしたいといつも思っています)。

もちろん税金は有限なので使い道はよく吟味して貰いたいですが、学問に対して今現在の尺度で役に立つ・立たないを判断すること自体、あまり意味がないのではないかと思います。

それは50年先100年先、場合によっては1000年先1万年先の人が判断することではないかと思うからです。

そして人間には、役に立つ立たないを超えた純粋な知的好奇心というものがあるのではないかと思います。何かを考えたり知ったりそれを共有したりすること自体に喜びがあります(学校でみすみすそれを失くさせてしまう教員も多いですが)。

また、人がしていることを役立たずだと言って切り捨てることを続けていたら、早晩それは自分に返ってくるようにも思います。誰しも歳を取ったら衰えるものだからです。

自己責任社会と、学問が無用の長物という考えは無関係ではないでしょう。

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