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1974年というかなり昔の事件ですが、集合住宅で階下の住人が弾くピアノの音がうるさいという理由で、その一家のうちピアノを弾いていた子供を含む3名の殺人に及んだというものがあります。

私は、犯人を気の毒に思います。もちろん殺人は決して許されることではないです。ですが話し声を含めて人が立てる音というものには、自然の音にはない情報が含まれます。私自身、学校の教室などでの人の話し声が辛いことが結構ありました。壁がコンクリートであったりすると、声の反響の方が大きく聞こえて肝心の話が聞き取りにくいことも多いです。

雨や風の音と違って、人の声・上の階の足音・ピアノの音などは音を発する人がある程度コントロール出来るので、それをしない人に対する苛立ちは私にも察することが出来ます。

私は短期間ですが都内の壁の薄いワンルームの物件に住んでいたことがあり、世の中には日常生活を送るうえで動作が荒いというのか、かなり派手に音を立てて暮らしている人がいることを知りました。例えばドアや窓の開閉一つにしても、まるでわざとしているかのように毎回大きなピシャリという音を立てて閉めるような人が右隣にいて、逆に左隣からはほとんど音が聞こえませんでした。右隣の人が今何をしているのか音で手に取るようにわかる感じで、その物件は大家さんにも問題があってすぐに転居しましたが、右隣の音も原因の一つでした。音や光は気になる人には気になり、気にならない人には気にならないので、両者は永遠に平行線です。

発達障害だと様々な感覚過敏があり、それには慣れるということはない印象があります。私は音よりは光に弱いですが、子供の頃私はとても汗かきで暑がりで、いまだにそうです。汗をかくことが自分の意思では止められないのと同じように、太陽や蛍光灯の光の眩しさにも生まれてから50年経ちますが慣れることはありません。生活音は我慢すればそのうち慣れるだろう、というのは発達障害ではない人の発想です。

犯人が発達障害であったかどうかは知る由がありませんが、私と同じように片頭痛に悩まされていたということがわかっています。片頭痛になる人は、人一倍光と音に敏感なのではないかと思います。特に頭痛がしている間は、暗くて涼しくて静かなところで横になりたいです。

私は会議がとても苦手なのですが、それは狭い会議室に何人も集まって口々に話しているので聴覚が変な風に刺激されるということの他に、上から蛍光灯で照らされて眩しいことに加え、閉め切られた部屋の二酸化炭素の濃度が上がることで、会議の途中か終了後に必ず酷い頭痛に見舞われるということも理由です。

そして体調がよくない時には、何より先に普段はあまり気にならない些細な音や光が気になるという兆候が出ます。例えば結婚相手はしょっちゅう小声で独り言を言うのですが、それに苛立つようになったら大抵疲れています。

犯人は勤務先の騒音(人の話し声)に耐えかねて退職したこともあったようで、それ以来職を転々とし、犯行当時は片頭痛も酷くなっていたようです。そもそも階下の住人はピアノを購入する前から、ドアの音や日曜大工の音で犯人を苦しめていたようです。犯人はよほど聴覚が敏感だったのだと思いますが、ピアノの音が酷くうるさく感じられても経済的に困窮していたので転居出来なかった感じです。

聴覚が敏感な人が必ず殺人のような事件を起こすかというとそれは違うのですが、毎日拷問を受けているような状況は耐え難かったでしょう。

私は周囲の音が気になるときには、イヤホンで音楽を聴くようにしています。それが好きでよく知っている音楽ならそちらに聴覚が奪われるので、ごまかされるというのか気にならなくなります。今のイヤホンは性能がいいので、ノイズキャンセラーがついていなくても効果があります。ですが、事件の起きた昭和40年代では今のような携帯音楽プレーヤーもなく、生活する上での騒音を打ち消すには耳栓でもする以外はないのではないかと思います。

収監されてから音の問題をどうしていたのかが気になりますが、犯人は音に敏感なあまり刑務所で暮らすことは考えられないという理由で死刑になりたいと希望していたため、地裁の死刑判決のあと弁護人がした控訴を自ら取り下げたそうです。そして今現在は、国内で最高齢の死刑囚だそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ピアノ騒音殺人事件

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