兄弟

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昨日の続きです。

当時の私はもちろん知らないことでしたが、零細企業を経営していた伯父と父は、利益の分配を巡って衝突していました。家族経営にはよくある話です。伯母に経理をさせて金銭の流れはすべて伯父が管理し、決算書すら一度も見せなかったと後年になって父は愚痴るようになりました。そればかりか、もう時効だと思いますが二重帳簿にして売り上げの一部を懐に入れていたとのことです。父は不満を持ちながらも、兄弟のどちらかが利益を手にすればいいとも思い、黙って仕事をしていたそうです。

そんな中、私は伯父伯母によくなつき、週末ごとに伯父の家に遊びに行ったり泊まったり、一緒に旅行したりしていました。これも後でわかったことですが、父は伯父夫婦の機嫌を取って懐柔する目的で私をあえて利用していたそうです。伯父と伯母はとても気難しいところのある人間で、何というのか、人の弱点を見つけるとそれを踏みにじるようなところもありました。ですので滅多なことでは人を気に入らないのですが、何故か私が気に入ったのです。母が下の子を堕したということを知った時には、そんなことなら私を養子にしたのに、と両親は責められたそうです。

何故か私は、教わらなくても何を言ってよくて何を言ってはいけないかがわかっていたので、両親と伯父夫婦に挟まれてもどちらにも角が立つことは言わず、緩衝材の役割を果たしていました。父は私が伯父伯母にもっと気に入られるよう、毎日のようにあれこれ指示していたことを覚えています。

そうしている間に、私は人の顔色や空気を実によく読む子供になりました。今から思うと、発達障害だったのにどうやって人の顔色が読めるようになったのか自分でもわからないのですが(おそらく彼らの顔色だけが読めるようになったのでしょう)、そうしなければ生きてはいけなかった(ような気がしていた)ことも確かです。私の記憶にある当時の父は、ひどく感情的に怒ってばかりいたからです。父の感情表現には独特の激しさがあり、それは周囲の人を無言にさせるものでした。母は黙って父に従うこともそうでないこともありましたが、よく大喧嘩をしていました。

そんな両親と伯父夫婦との橋渡しをするうちに、どちらにも手が掛からない「いい子」になり、どちらにも居場所がなくなっていったことは覚えています。

私が小学校3年に上がる前までそんな日が続きましたが、ある日父はその会社を飛び出して遠くに引っ越しました。

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