感情と嘘

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哲学の道です。

以前にも書いたように、私には人の感情が読めないという発達障害由来の問題があります。人の感情が仮に読めたとしても、それはとても苦手です。

ですので、人と会話しているときには言葉の内容だけが頭に入り、表情や仕草が示しているものは読み取れません。言葉と態度の間に矛盾があっても、通常はそれを把握することができません。

つまり、相手が嘘を言っていても気づかないことが多いです。

ですが、家族など相手が身近になればなるほど、嘘を簡単に見抜くことができます。これは、相手の嘘に関するパターン認識ができているからだと思います。声の調子や思考パターンを把握しているからでしょう。

パターン認識という点では、人の間で普通に通用している社交辞令(これも一種の嘘といえます)は社交辞令として受け止め、よく発達障害の人についていわれるように真に受けてしまうことはありません。

また、論理的思考がそれなりに得意で論理矛盾や論理の飛躍にはすぐ気づきますので、文脈から嘘を見抜くことはむしろ得意です。

感情を読み取れない代わりに、パターン認識と論理的思考を用いる訳ですが、嘘は見抜けたとしてもそれは分かりやすいからです。

嘘よりももっと複雑な人の心は読めないままです。

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