子供の頃から読書が好きだったと以前書きましたが、最近になってようやく文章の内容を把握する自分の能力がとても低いことがわかって来ました。そして、もしかしたらそれは私がASD(アスペルガー症候群)だからではないかと疑っています。
それは、高校までの国語の授業やテストでは点数に現れなかったので自分でも認識出来なかったです。
私の文章認識力がどんな状態なのかと言うと、文章単位では何が書かれているかはもちろん読み取れますし章単位くらいまでなら骨子は把握出来ますが、例えば1冊の本を読んで話の流れというのかあらすじはわかっても、まとめというのか抽象化することがうまく出来ない、そんな感じです。
つまり、私は文章の内容の分析は出来ても、統合というのか全体像の把握に問題があるようです。
今はどうかはわからないのですが、私が高校生だった頃の国語の長文読解はもっぱら分析的な問題ばかりが出題されていたのではないかと思います。よって、自分の欠陥というのか苦手なことが自分でもわからなかったのでしょう。そして、なまじ本を読むことが好きだっただけに、自分の読解力に問題があるとは夢にも思っていなかったのだと思います。
何故今頃になってそれがわかって来たのかというと、生きていくためには演繹的思考よりも帰納的思考の方が重要な場面が多いのに、帰納的な思考は私にとってひどく難しいことだということがだんだんわかって来たからです。
断片を繋ぎ合わせて、全体を把握する。それがとても難しいです。
日常生活では情報が断片的にしか得られないことが多いのですが、私は断片そのものにとらわれてしまう傾向が強く、その結果木を見て森を見ずというのか、ひどく物分かりが悪いのです。例えば、今になってようやくかつて学校で習ったアレはそういうことだったのか、と理解することも多いです。
読書が好きだと自分では思っていたのですが、それは単に文字を追ってゆくプロセスやそれによって知識が増えることが好きだっただけだと思います。
子供の頃は家にある本を読み尽くしてしまい、しまいには辞書まで読んでいたのですが、要するに本が好きなのではなく何かを読むという行為が好きだったということなのでしょう。
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