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私はASD(アスペルガー症候群)という発達障害です。ASDを抱えている人は、一般的に空気を読むことが困難であるとか、人の感情がわかりにくいなどとされるようです。

確かに、私にはそのようなところがあるようです。生まれつきそうなので、人の心がどのようになっているのか、どのように動くか想像がつかない部分があります。感情というものに対する恐れがあるとロールシャッハテストを受けたときに指摘されていたのですが、発達障害という診断を受けて初めてそういうことだったのか、と納得しました。

人には、異質な存在を排除する傾向があると思います。特に、日本社会ではそうなのではないかと感じます。それは進化の過程でそのような傾向のある個体が生き残ってきたのであって、社会を形作るうえで重要なことだったのでしょう(一方で発達障害をもたらす遺伝子も残っているので、それは一体何故なのかを今考えています)。

本能的に異質な存在を排除する傾向が備わっているのに、学校では「みんなと仲良くなければならない」という偽善が押し付けられることが、いじめの一因になっていそうです。

私自身も「みんなと仲良く」という言葉に苦しめられたというのか、嘘をつくのが苦手なのに無理をしてきたところがあります。

みんなと仲良くなどしなくていいですし、そんなことは絶対に出来るはずがないのです。誰一人出来もしない理想を押し付けてはならない。

人にはそりが合う合わないがありますし、意見も立場も違っています。たまたまクラスなどが同じだというだけで、なぜ敵意を押し殺さなければ(正確には、敵意を無意識に封じ込める)ならないのでしょうか。

私は学校では「お客さん」だったのですが、しかもそれに気付いたのが48歳で発達障害の診断を受けた時だったのですが、それで不都合はあまりなかった気がします。馴染めないものは何をしても馴染めないので、無理強いするようなことは無意味だと思います。

ともあれ、最近ようやく自分にとって付き合っていい人と付き合わない方がいい人の見分け方に気付きました。

しばらく話した後になんとなく自己嫌悪に陥るような相手である場合、その人に関わるのをなるべく避けた方がいいようです。それは、どちらがいいか悪いかという問題ではなくて、おそらく価値観が大きく違っているからなのでしょう。

逆に、話した後に自分の価値が上がったような気がする人は、自分にとって大切にすべき人なのでしょう。

おそらく皆さんそのようなことはされているのだと思いますが、暗黙の了解というのか、発達障害ではない人には教えてもらわなくても見分ける能力が備わっているようです。

私は自分自身の感情にもあまり気付かないため、これに気付くのに50年もかかってしまいました。

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