排除

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いじめは絶対にダメ。いじめは犯罪。

むなしくなるくらい、そんな標語は無力です。いじめは日本社会に深く根付き、はびこっています。

鬱病になって実感したのですが、社会は異質なものを排除しようとします。特に日本社会ではそのような傾向が強いともいわれます。

職場でそれなりに親しかった人が、鬱病になって不調が続いた私とはだんだん距離を置くようになったことや、鬱病のため休んでいて休み明けの私を職場の人たちは遠巻きにしていたこと、業務を調整してもらっている間に私に対して反感を抱いていた人が少なからずいたということ。そんなことから、日本の組織にはびこる独特の「空気」というものについて考えるようになりました。

長い間鬱病で配慮されながら働いていましたので、その間同僚に負担がいっていたことについては、ほんとうに申し訳ないと思っているのです。

ただ、そもそも業務量に対して人員が少ないからそうなっているので、上に対して向けるべき不満を私向けるのは誤っていると、私の立場からは反論できるのですが、問題はそこはかとない反感というものの存在です。

面と向かって不満を言われたことは一度もありません。でも、間接的に言葉が伝わったり、態度で示されたり、無視されたり。

言葉に対しては反論ができますが、そのような意識的無意識的な反感の示し方に対してはどうすることもできません。

いじめとまではいかない、消極的な排除。孤立。たったそれだけのことですら心が痛むのに、積極的にいじめを受けたらどんなに辛いか。

話を戻すと、そんな「空気」。

鬱病という外からは見えない、得体の知れないものを抱えた人間を排除する空気。

ブラックともホワイトともつかない職場ですが、政治的駆け引きが盛んなところです。

そのような空気が、いじめを生むのではないかという気がしています。

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