昨年は、私の周囲では訃報が多い一年でした。
人が亡くなったあとその人がどのような人であったかは、その人が何を得たかではなく何を与えたかで分かる、という誰かの言葉は正しいのではないかと思います。
生きている間、何を人に与えたか。
与えるという行為は、時としてエゴイズムの発露としてなされ、受ける側が苦しむことがあります。持てる者が持たざる者を利用する。それはここで言っている与えるという言葉には当てはまらないでしょう。
ギブアンドテイクのギブとは違う。
セレブリティの寄付行為とも違う。
神ではない人にとって、見返りなしにただ与えるということはとても難しいことです。
ですが、亡くなった人を惜しみ、その死を悲しむのは、その人から与えられた何かがあるからではないかと思います。
神ではなくても、与えるつもりでなくても、死によってその人との関係が断ち切られた結果、返し切れない何かが残される。
その何かは、自分だけのものにするのではなく、死ぬまでに別の誰かに与えるべきもののような気がします。
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