人のこと

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私はASD(アスペルガー症候群)だということを差し引いても、集団の「空気」を読んで行動したり、「みんな」と同じことをして同じことを考える「べき」という同調圧力が苦手です。

注意力が足りないのか、人のことがあまり目に入らないところがあって、気がついたら周囲から浮いているということを繰り返している私にも問題はあるのですが、異質なものをただ排除するという姿勢にも問題はあるように思います。

自分と同じではないから気に入らない、気に入らないから排除する、ということを続けると、独善に陥る可能性が高いからです。

そのような意識的な排除も良くないですが、さらに良くないのは無意識に排除することではないかと思います。

意識的な排除は、意識してのことなので行動を変えることも出来ますが、無意識の排除は排除しているという意識がないのでなくすことが難しいです。

マイノリティは、少数派であるが故に日常的に不便を感じたり、不利益を受けたりすることが多いでしょう。例えば私は左利きではありませんので、左利きの人の不便さは実感できず、何となく推し量るくらいしかできません。ですが、右利きと左利きどちらが優れているというのではなく単に数が多いという理由で右利きが有利な社会になっている現状があり、それが当たり前で日頃意識することもほとんどないようです。

あるいは、「女性ならもっと気配りしなさい」「中国人は拝金主義」というような、ある属性を持つ人を一括りにするような言葉。

右利きのようなマジョリティに属している人の鈍感さ。そして、ある属性を持つ人はこうだ、というステレオタイプな思い込みによる思考の省略。

つまり、自分と他人を安易に同一視する、誰かを誰かと安易に同一視する、ということ。

無意識の同一視であるが故に、それは空気となって同調圧力となって蔓延する。

そしてそれは、ストレスを受けた時には意識的な排除となって現れる。

自分が他の人と「同じ」だ、「一緒」だ、と疑いを持たず無邪気に信じることが出来る人は、私にとってはとても危険に感じられます。

人は自分とは「違う」ことを前提に、歩み寄れるようになりたいな、出来たら違いを楽しめる余裕を持ちたいな、と空気を読めないはみ出し者の私は思います。

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