意識

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昨日は、エリートとされる人が自己責任論を信じやすいというようなことを書きました。一般的に努力は素晴らしいこととされていますし、結果を出すには努力は不可欠なのだと思いますが、行き過ぎた努力の肯定は例えば社畜をうむ土壌になっていると思います。

複数の人格障害者の間で板挟みになるとわかるのですが、世の中には無意味な努力というものがあるということを嫌というほど知っているので、私は無条件に努力を賛美することは出来ません(第三者からは私はその間何もしていなかったように見えたと思いますが、目標に向かって進むというだけが努力ではないです)。

自己責任論を抜きにしても、私はいわゆる進学校に少し通った経験があるので思うのですが、成功体験を積んだ人はたいていの場合自分に自信があり、どんな場合でも自分が正しいと思っている節があります。

エリートが普通の人から嫌われる理由をうまく映画にまとめたのが「ライオット・クラブ」(2014年)だと思います。鼻持ちならないスノビッシュな上流階級を英語でposhといいますが、それがもともとのタイトルのようです。オックスフォード大のイギリスの良家の子女の社交クラブの話です。

この映画は、とても後味が悪い映画です。いい家柄に生まれて名門大学に行ったら自分もそうなっていたのかも知れませんが、エリートが一般人を虫ケラ扱いするシーンが多く、その行いに対して正当な報いを受けるわけでもありません。そして、エリートの中にも階級があったりします。

歴然とした階級社会のヨーロッパのエリートよりも日本はましなのかも知れませんが、日本もこれからそうなる可能性もないわけではないと思います。

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