目的と手段を取り違えてしまうと、あるいはそんな人がそばにいると、人は病んでしまうのではないかと思っています。あるいは因果が逆で、病んでいる人は手段を目的化しがちなのかも知れません。
例えばアルコールでも、飲むことで楽しんだりストレスを解消したりするのが目的のはずが、手段が目的化して飲むことそのものが目的になってしまうと依存症と言えるような気がします。
私が今いる職場がそんな感じで、組織として何を目的・目標に行動するかということよりも、組織として存在すること自体が目的になってしまっています。迷走しているのです。何年か前にそこの偉い方々が従業員の従うべき憲章を作ったというので、わざわざそれを名刺大の高級な紙に麗々しく印刷して一同に配ったのですが、その第一条に組織の存続を自分達の目的とするという意味の文章が書かれていて、ずっこけたというのか呆れたことがあります。
官僚機構もそうで、自己の存続が目的化するとただ硬直して肥大するばかりです。
何というのか、長生きだけを目標にして生きている人、蓄財だけを目的にして生きている人にもそんな印象を受けます。私の身内がそんな感じです。
そのように目的を失って手段ばかり追求する硬直した環境にいると、私自身は果てしなく消耗してしまって居心地が良くないのですが、そうでない人も結構いるようです。
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