神のようなもの

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ベンゾジアゼピンの離脱症状が最もひどく、脳が爆発しそうだったときに、幻覚や幻聴がありました。

自分でそれが幻覚や幻聴だとすぐ気付きましたので、軽度のものであったと思います。

初めての経験だったのですが、何よりもこの自分が幻覚を見たり幻聴を聞いたりしたこと自体が信じられないことでした。

そこにないものを見、そこにない声を聞いたことに気付いたときに、自分の感覚というものはまったくあてにならないもので、おそらく日頃自分が見たり聞いたりしているものは、目や耳を通じて脳が見せ、脳が聞かせているのだという結論に達しました。

私が生きていると思っていたこの世界は脳が作り出したまぼろしであった。

逆に、世界というものは私がなければ存在しない。

私というものが存在しないとすると、さっきの幻覚や幻聴は一体誰が、何が、感じていたというのか。

私がいるところには、座標も、時間も、次元もない。ただ、「存在」として存在している。

何億回もこうしてかりそめの経験をしながら生まれては死んで、を繰り返してきたし、今後もそうなのだ。

そのような感覚、そのような考えが頭から離れなくなりました。

存在の根源に触れたとでも言うべきでしょうか。

宗教的な神は信じてはいないのですが、無から有は生まれません。姿形は変わってきたし、変わっていくだろうけれども、自分が在るということだけは否定できません。おそらく自分を作ったのは、その神あるいは神々のようなものであろうと思うようになりました。

…実際のところは…薬物が切れて脳が誤作動を起こしたのだろうと思います(笑)。

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