このブログは、何か特別なことがない限りは予約投稿で毎日午前0時に更新されるよう設定してあります。よって、現実の世界とはタイムラグがあり、これを書いている今はお盆です。
お盆は、七男の娘である私にはあまり身近な行事ではありませんでした。ですが、京都に住んでいるとやはり意識させられます。
死者の魂が戻ってくるということで、この時期には亡くなった人を思い出すことになります。
中でも、自ら死を選んだ人のことをつい考えてしまうのは、私が鬱病だからでしょうか。
身近なところでは、父方の伯父が自殺しています。
大学生のときにはゼミの同級生が、職場では私より少しあとに鬱病になってしまった人が、それぞれ自殺しています。
鬱状態の人がよく死にたいと思うのは、死んだ方がましなほど鬱というものが辛いから、そして鬱状態から逃れることが死ぬことを除いて絶望的に難しいと思ってしまうからだと私は分析しています。
彼や彼女たちが何を思って死を選んだかは、もちろん私にはわかりません。
ですが、自分が今死なずに生きているのは単なる偶然に過ぎないこともわかっています。彼や彼女たちのことを思い出すたびに、そう思います。
希死念慮にとらわれ、一度実行に移しかけたことがあります。
そのときの心の軽さ。
肩の荷が下りるというのはこういうことかと思いました。
もう苦しまなくても悩まなくてもいい。
何も考える必要すらない。
究極の自由。
夫が帰宅しなければ実行していたでしょう。
それから何年かたった今になって思うのは、実は死んでも生きていてもあまり変わりはないということ、でしょうか。
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