これまでさまざまな人を見てきました。在学中に司法試験に受かってしまうような人。最初の就職でつまづいてしまった人。中高から不登校の人。定年退職してから大学に再度通い始めた人。鬱で生活保護を受けている人。海外で活躍している人。堅い仕事について安定した生活を送る人。
私がこれまでうらやましいと思った人は、たいていが若いうちに目標を達成した人でした。当然、社会的な地位もあり家庭もあり、あくせくすることなく幸せそうな毎日を送っているように見えました。
それに引きかえ、自分はこれといった目標を達成した訳でもなく、成功体験もありません。彼らの持つ自信というものが正視できないほどまぶしく見えましたし、今でもそう感じます。私に絶対的に欠けているものが自信かも知れません。
ですが、自分に自信を持っているということは、反面ある点でもう自分はこれでいいのだと思っているということではないかと考えるようになりました。
もしかしたら私は、完成された自信よりも、未完成の自由さを求めるようになったのかも知れません。
例え自分に自信が持てないままであったとしても、死ぬ当日までもしかすると自分に何かの可能性があるのではないかと思っている方が、本当は幸せなのではないかと考えています。
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