子供の頃からどんなジャンルでも本を読むことが好きで、なかでも図鑑や辞書を一日めくっているような子供でした。ですので、国語の学習ではあまり苦労しませんでした。
夫の発達障害が発覚したとき、発達障害について本を読んだりネットを検索したりしてそれなりに調べました。
発達障害の特性とされる項目は、その大部分が定型発達の人であっても多少は当てはまることだという印象を受け、自分に当てはまるかどうかをチェックしてみたことを覚えています。
ASD(アスペルガー症候群)の特性の中に、言葉を文字通り受け止めてしまうというものや、曖昧な表現が苦手というものがあるのですが、そのときには自分に当てはまるとは思わなかったのです。
なまじ読書好きだったため、言葉の使い方をそれなりに知っていたので文脈が読めりことにより、言葉を文字通り受け止めてしまった経験はなく、語彙がそれなりにあったので曖昧な表現に苦手意識を抱いた経験もなかったからです。
私は単なるハイパーレクシアであって、頭で言葉を理解することはできても、それを現実に当てはめることが難しいということに、当時は気づいていなかったのです。
おかしな話だと思うのですが、転居通知に「お近くにいらした際にはお立ち寄り下さい」と書くのは社交辞令だと知っていました。ですが、自分が出したときには、もしも真に受けて来た人がいたらどうしようと思っていました。
つまり、自分が社交辞令間に受ける人間なので、社交辞令を間に受ける人を想定してしまっていたということなのです。
自分が診断を受けたあとにそのことを思い返して、もしも読書好きでなかったとしたら、社交辞令を間に受ける人間で、ASD(アスペルガー症候群)の特性に当てはまることになると理解しました。
そんな回りくどい方法で自覚する人間もいる、という話でした。
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