鬱になってから回復に15〜6年かかったのですが、何故鬱からの回復にそれほど時間がかかって職場から仮病を疑われるほどだったのか、自分で考えてみました。
簡単に言ってしまえば私には処方された量では抗鬱剤が足りなかったのですが、そんな状態なのに延々と同じ医師にかかっていた理由の一つに、鬱で余裕を失っていてドクターショッピングどころではなかったことがまずあります。仕事を続けることで精一杯で、鬱病や抗鬱剤について考えたり調べたりすることがあまり出来ませんでした。
また、初診の時に医師に生育環境の話をしかけたとき、きっぱりと「私は過去の話や精神的な問題の話や気分の話は聞きません。睡眠や食欲などの身体のことだけを聞きます。そういう学派です」と言ってさえぎられ、話はそこまでになりました。そしてその後の診察も体調の話に終始したので、例えば辛い・苦しいなどとは言ってはいけないと思い、眠れない、食欲がないなどということしか伝えなかったこともあります。
その医師にかかっていた15年の間、安定剤と睡眠薬だけが増えて抗鬱剤は足りないままだったのはそのためかも知れませんが、その医師が不親切というのではなく、私の言葉が足りなかったということなのでしょう。
また、これは以前も書いたことですが、あまりに長い間鬱だったので調子が悪いのが当たり前になっていて、抗鬱剤が効いていてこれくらいなのだろうと思い込んでいたことがあります。大量の睡眠薬で感覚が鈍くなっていたこともそれを助長していたでしょう。抗鬱剤を増やして、鬱になる以前の自分に戻ったような感じがした時に、初めてそれまでずっと足りなかったのだということがわかりました。
そして、私には育った過程で大抵の場合は相手に合わせるという習慣がついていたのと、どんなことでも非が自分の方にあると思う癖がついていたので、医師の方針が自分に合わないということにすら気付かなくなっていた、というのがそもそもの原因だと思います。
鬱病だけではなく、鼻炎でも同じようなことになった経験があります。鼻炎がひどくなったので医師に言うと、副鼻腔炎だと言われ延々と抗生物質を処方されていました。一年近く経っても改善せず、そこでようやく医師の方針が合わないということに気づき、別の医師にかかったらすぐCTを撮られて大学病院に回されました(その大学病院でも完治はせず、結局別の病院で鼻中隔湾曲症の手術をしました)。
どちらもとても繁盛しているというのか患者が多く、診察まで1時間待ち2時間待ちが当たり前の医師だったので、信用していたこともあります。
よく笑い話にある、病院の待合での高齢者同士の「◯◯さんは今日具合が悪いから来ていないのね」という会話のように、本当に鬱がひどい時には病院にすら行けない感じです。
何とか気力を振り絞ってようやく病院にたどり着いても診察を待つ間に疲労してしまうことも多く、そんな状態では医師の方針が自分と合っているかなどの判断は難しく、そしてかなりエネルギーが回復しないとドクターショッピングも難しいです。
…そんな言い訳を職場にしたかったのですが、おそらく理解されないと思ったのでそのままになっています。
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