少し前に、ツイッターなどで#KuToo運動というものを見かけました。職場で女性だけがヒールのある靴を強制されるのはおかしい、という趣旨のものだったと思います。
私自身は鬱病になってからヒールの高い靴はしんどくて履けなくなってしまったのですが、最近はまたトライ出来るようになりました。ヒールの高い靴は筋力が必要なので、若くて元気な人の特権という側面があったりします。
それはともかくとして、法律事務所に勤務していた当時は毎日ほぼ必ず外回りの仕事があったのですが、ヒールの靴以外の選択肢があるということなど考えたこともなかったです。ハイヒールで1日歩き通すのは辛かったのですが、当時は生きていくのに必死でそれどころではなかったからなのでしょう。
私がいわゆる男女差別問題を初めて意識したのは、大学に入った時でしょうか。それも、何というのか変なかたちで意識しました。同級生の男性は女子大の学生や短大生は付き合う相手として見ているのに、どうやら自分はそもそも対象外、つまり女性と認識されていないらしいと気付いて驚いたのです。
当時の女性の進学率などを考えれば、四年制大学のそれも法学部にいるような女子学生は「女性」ではなかったという男性の認識を責めることは出来ません。
ともあれ、大学の同級生にとって当時の自分は差別されている存在だとされる「女性」ですらない、いないことにされている存在。いわば、トランスジェンダーの人の置かれている状況に近いものがあったような気がします。
私がなぜヒールの靴をまだ捨てないのかというと、このことがまだ尾を引いているから、という以外に、単純にヒールの高い靴を履くとその分背が高く足が長く見えて履いていない時より美しく見えるからです。
また、服装は自分のためだけにあるのではなくて、お葬式に例え黒い色のものであってもスニーカーを履いて行くことはしないように、相手や周囲のためというものでもあるからです。もちろん、嫌だと感じている人がヒールの靴を強制されるようなことはあってはならないと思いますが、社会では相手への配慮が求められる状況もあると思います。
そういう意味で、ヒールの靴は男性のネクタイと同じ位置付けではないでしょうか。
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