理想

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8月はお盆以外にも原爆の日や終戦記念日があるので、何となく戦争について考えさせられることが多いです。

以前にも書きましたが、日本は敗戦によって戦争そのものに蓋をしてしまい、そこからほとんど何も学んでいないと思います(そもそも戦争のやり方自体が稚拙でした。どうせ負けるならば上手に負ければよかった)。

もちろん戦争のない平和な状態がいいに決まっていますが、地球上の有限な資源の配分を巡って争うのは人間の宿命で、いくら綺麗事を言っても始まらないと思います。戦争がなくなる可能性が出てくるのは無限のエネルギーを手に入れて経済活動がいらなくなる時だとも考えられますが、それでも人は自分と異なる存在を力で排除することはやめないでしょう。

ですので、戦争を放棄するならばその分高い外交能力が必要だと思うのですが、今の日本の現状を見る限りではお世辞にもその能力があるとは言えません。

ともあれ、日本人の中では戦争はもう嫌だという感情と、戦争は必要悪だという論理がせめぎ合っていて、結論を出せないまま宙ぶらりんの状態のようです。

戦争放棄を定めているのは憲法ですが、30年前に憲法を学んだ時に思ったのが、憲法は現実離れした理想を形にしたものだということでした。アメリカから押し付けられた云々という制定過程は抜きにしても、憲法はあまりにも制定当時のイデオロギーに染まっており、70年以上経った今では化石のようなものに感じられます。

結局のところその空文を麗々しく掲げながらも、現実との折り合いをつけるために骨抜きにしてきたのが戦後の実態です。

そのうち、憲法と現実との間には埋めようのないギャップや解消出来ない矛盾が生じると思うのですが、その時にどうするのかはその時の国民が選択することなのでしょう。

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