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昨日・一昨日と男女差別について書いていますが、そのきっかけになったのは結婚相手の「女は馬鹿だというようなことは言わないようにしていたけれど、やはり女は馬鹿だと思う」という言葉でした。

それは私に対する言葉ではなく、ショッピングモールの中の書店でファッション雑誌を見ながらはしゃいでいた若い女性たちを見ての発言でした。

結婚相手は発達障害なので音に敏感であることに加えて、図書館や書店などで誰かが大きな声を出したりすることを嫌っていて、そのことで客同士で喧嘩になりかけたこともあったほどでした。その女性たちは大学生くらいで、騒いでいたとまでは言えないまでも結構大きな声で談笑していましたので、それが耳障りだったのでしょう。

3人兄弟の末っ子だったため家族で女性は母親だけだったためか、女性のおしゃべりには慣れていないこともあると思います。それに加えて、私自身も発達障害で雑談が苦手なのでなおさら女性のおしゃべりとは無縁だったと思います。

滅多に女性蔑視的な発言はしないのですが、珍しくそんなことを言ったので何となく気になってブログの記事を書いていたら、東京オリンピック担当の森喜朗氏が「女性のいる会議は長くなる」という発言で批判されたという報道がありました。

つい「男性は」「女性は」と属性で一括りにしてしまいがちですが、それは人間の思考がそのようになっている(一般化しがち)からだと思います。

そうすること(予断を持つ;prejudice)で、その場その場で考える必要をなくして脳の負担を減らすという意味があるのでしょう。そして、年齢とともに経験が増えるとその予断は強化される(柔軟性を失うとも言えます)。

そのことは男女問わず同じです。

人をはかるはかりで自分もはかられる。

私はクリスチャンではないですが、そんな言葉がバイブルにあったような気がしたので調べました。

マタイ伝福音書-第七章_(文語訳)

人を批判する前に、同じことをしていないか自省するようにしたいです。

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