文明

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昨日は社会が高齢者を支えきれなくなったら、高齢者は何のために生きているのかを問われるだろう、というようなことを書きました。

それがどんなに辛い問いかというのは、陰に陽に身内からそのような態度を取られた経験からよくわかります。毎日のように「お前は何のために生きているのか」と問われ続けていたら、精神的に追い詰められて疲弊します。生まれたのは自分の意思ではないですし、ありとあらゆる人間は特段の目的のために作られている訳ではないからです。

けれども自分が生きるためのコストを別の誰かに払わせるということは、結局はそういうことなのだと思います。

以前読んだ本に、生涯生殖が可能な男性と違って、生殖が可能な年齢を過ぎた女性がどうして生物学的に生存を許されているのかという問いに対する答えとして、子孫の生存確率を上げるための知識の伝授ではないかという仮説が書かれていました。要は「おばあちゃんの知恵袋」です。

その仮説が正しいかどうかは私にはわからないのですが、確かに私がもっと歳を取ったあとに何を社会に提供出来るかといえば、子孫を作ることでもなく肉体労働でもなく、自分の知識というのか知恵がもしあったとしたらそれくらいしかなさそうです。

DNA解析によると、人間の本来の寿命は38歳なのだそうです。それを超えて生きていられるのは文明の力です。

それならば、せめて文明・文化に寄与するのが高齢者の役割ではないかと思います。

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