恐怖

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タイツなどのレッグウェアの大手メーカーが、販促で使用したイラストが不適切なものだとされて謝罪に至ったというニュースがありました。

そこで問題とされたイラストを見てみました。私はサブカルチャーについてまったくの無知なのですが、いわゆる萌え絵というもののようです。

これらはすでに削除されているようですので、私もしばらくしたら削除します。

これらを見て真っ先に思い出したのが、満員電車で痴漢に遭った時の恐怖や見知らぬ人に性的な目で見られた時の不快感でした。

表現の自由の問題ではなく、ユーザーにそのような恐怖や不快感を想起させたということは端的に企画の失敗だと思います。

男性にはわからないかも知れないのですが、私のような小柄で力の弱い者にとっては、見知らぬ不特定多数の男性が自分に本能を向けて来るという状況に対しては、それを思い浮かべるだけでまず恐怖心が湧きます。力では絶対に敵わないからです。自分より身体が大きくて力も強い存在、自分の身体にいつでも痛い思いをさせることが可能な存在に囲まれて生活したことがない人には、あまりピンと来ないかも知れません。

また、これも男性にはわからないかも知れませんが、少なくとも私が女子高生だった頃には女性の顔や身体を品定め、あるいは値踏みするような感じで眺める(あるいは見られる側が勝手にそう受け止めてしまう場合もありますが)男性が結構いました。

私にとってはそのような状況や視線を想起させるイラストです。

イラストとして美しいかどうかであるとか、象徴するものがいいか悪いかということは問題ではないと思います。萌え絵はおそらく男性(あるいは女性かも知れません)のファンタジーを具体化したもので、それの是非はおそらく誰も問うことはしていないと思います。

萌え絵というものをこれまでほとんど見たことがなかったのですが、あくまで私の個人的印象では、幼い顔と大人の肉体を持った「女の子」・「女子」があからさまに、あるいは無自覚に、あるいは恥ずかしげに男性を性的にそそっているようなイラストに見えます。自分の意思を持った大人の女性を相手にするのは場合によっては怖かったり面倒だったりしますが、それとは対照的にイラストに描かれた女の子の姿からは自分の意思というものがあまり感じられず(だから「かわいい」とも言えます)、ただ男性の願望を満たすために作られた存在や、男性を無条件で受け入れてくれる存在のような感じです。つまり、主体性というものは感じられなくて、モノ化されているというのか記号のようなものに思えます。欲望を満たすために作られた、視線をはね返すことのないただ「見られる」客体です。

見る人の都合に合わせ、思い通りになる客体。

少なくとも、そのように見えるように描かれているようです。

そのようなクリシェというのか流通する記号的イメージ自体を、ここでとやかく言うのではないです。相手に理想や幻想を求めるのは対女性に限られるのではないからです。

問題はこのイラストを公式アカウントが使用することで、製品を身につけることに、「自分の意思とは無関係に自分の姿を見る不特定多数の人を性的に刺激してしまうという結果を招く」プラス「客体化される」という公的・社会的な意味づけ、しかも肯定的な文脈での意味づけがされてしまったということだと思います。

ポイントは、「不特定多数の相手に」「自分の意思とは無関係に」性的に「客体化=自由意思がない状態にされる」というところで、それをメーカーが公式に肯定する。そこに恐怖や不快感の源泉があります。

つまり、これらのイラストの表現の利用の背後にはある意味暴力性を持った視線が潜んでいるのです(その是非はここでは問いません)。

親しみやすく受け入れられやすい、楽しさや癒しやかわいらしさにくるまれたソフトな暴力、隠れた暴力的視線です。

気持ち悪いという感想をどこかで見かけましたが、それは着用する本人にとっては日常生活の一部なのに、それを見る不特定多数の他者の中に性的に受け止める「視線がありうることが強調された」ことに対する不快感だと思います。感覚としては、無防備に眠っているところなどを盗撮されているかのような気分ではないかと思います。

タイツやストッキングは「靴下」の扱いなので、消耗品・実用品として使っている人は多いのではないかと思います。問題のメーカーは、車で言えば日産のような位置づけで、女性ならほぼ誰でもそのメーカーの製品を目にしたり手にしたりしたことがあると思います。普段着の一部になっている人も中にはいるでしょう。

それを身につけることに「客体性」や「鑑賞物性」などの意味を「公に」「社会的に」付加されるということは、それがなければ考えなくてもいいことを考えさせられてしまうという意味で(身につけるべきかどうかを考えさせられたり、どう見られるかを意識せざるを得なかったり、身につけたことで困った結果にならないかどうか考えさせられたり)、日常生活におけるストレスの原因が1つ増えるのと同じです。

例えば、男性だと靴下を履こうとするたびにこれまで書いたような内容のこと、わずらわしいことが頭をよぎる羽目になる、というような感じではないかと思います。そして、是非は別として特に若い女性(男性もそうなのかも知れませんが)はそのような思考に慣らされているというのか、自分が性的にどう見られるかを常に考えることが当たり前になっている土台があり、それにトッピングが上乗せされるような状態と言えるかも知れません。

また、実用を超えてお洒落(相手を性的に惹きつけるということを含めて)のためにタイツやストッキングを選んだりすることはもちろんありますし、着用した人をセクシーに見せるための服装や下着、レッグウェアもありますが、それは着用者本人が主体的にそう見られることを選択したかどうかという点だけがそうでない場合と異なっていて、ファッションを楽しみたいけれど性的には見られたくない場合でもその区別は外見からではつきにくいことがあると思います。

つまり、本人の意思や意図に反して性的な目で見られてしまうという実体験が少なからぬ女性にあると思われるので、その分余計に問題が大きくなっています。

さらに、下着と異なりレッグウェアは基本的に外から見えるもの(意思とは無関係に不特定多数の目に晒されるもの)であり、なおかつ学校や職場、TPOで着用が義務付けられる場面もあります。私が通っていた中高では校則でそうなっていましたし、今は幸い職場ではストッキングを強制されない生活を送っていますが、例えば一定以上の年齢の女性が葬儀に生足で臨んだりすることは今の日本では無理だと思います。

そうした制服やネクタイ、ヒールのある靴のように社会的に義務付けられているもの、人の肉体に束縛を与えるものに対しては往々にしてフェティシズムが生まれる訳ですが、それを企業の公式アカウントが肯定するというのか、それにお墨付きを与えているような印象を与えてしまうことに対しても疑問符がついたのではないかと思います。

それらをわかっていてあえて利用する女性もいるではないかという指摘もありましたが、だからと言ってことの本質である暴力性がなくなる訳でも、それに対するネガティブな感情的反応がなくなる訳でもありません。

一部ネットでは全体をひっくるめて「性的消費」という言葉が使われていましたが、それは言葉足らずというか乱暴な言葉遣いだと思ったので、こんなに長々と文章を書くことになってしまいました。それだけデリケートな話題です。結果として、文章を書くいいトレーニングになりました。

ただ、メーカーは謝罪文を出しましたが、別段謝罪すべきことでもないと思います。これまでのユーザーの一部が不快に思ったというだけのことだからです。強いて言うならばユーザーの企業に対するイメージが損なわれたのは確かなので、謝罪しないよりはした方が企業にとってよかっただろうということではないかと思います。

私は男女雇用機会均等法世代ですが、これまでフェミニズムというのかジェンダーについて関心を持ったことはほとんどありません。せいぜいはるか昔にボーヴォワールを読んだくらいです。人文学や社会学を学んでいたらもう少しまともな意見が書けるのかも知れません。

ですのでこれは見当外れな意見かも知れませんし、昭和生まれの頭の堅いおばさんが勝手に不愉快な記憶を蘇らせただけなのかも知れません。それだけイメージ喚起力のあるイラストだったということなのでしょう。

要するにこれはメーカーの、メーカーとしての節度の問題です。

なので、不快に思う人とそうでない人の間では決着のつかない水掛け論になっていたのです。

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