理想論

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先日、薬に頼らず鬱を治すということに対する反論のような記事を書きました。

ただ、ストレス源から遠ざかり充分に休養が取れれば、鬱がある程度軽快するのは間違いないと思います。そして、人によってはカウンセリングも有効でしょう。

ですが、生きるために否応なくブラック企業で過重労働をしなければならない人も多いです。学校も同様です。生きるためには、通学して高卒なり大卒なりの資格がないと行き詰まる、という理由だけで死にものぐるいで通学を続ける人もいるはずです。また、私のように家庭環境が複雑で家族がストレスの原因という人も少なくないのではないでしょうか。

そして、私にもカウンセリングを受けた経験がありますが、時間とお金がとてもかかります。受けてみてなぜカウンセリングが保険適用でないのか、何となくわかったように思います。相性があって、人によって効果があるとは限らないからです。

私が医師に求めるものは理想論ではなく、現実との妥協点を探ることです。

鬱病の最も困る点は、働くこと(学生は学業)が出来なくなることと、自殺する可能性があることです。働けないなら生活保護を受ければいい、と口にすることは簡単ですが、実際には職を失い、貯金も底をつかなければほぼ生活保護は受けられません。また、一旦生活保護を受けると、そこから抜けることも困難です。場合によっては親族に連絡が行く可能性もあります(私はそれが困るので、歯を食いしばって仕事を続けました)。

患者としては、なるべくそれまでの生活を続けながら治療したいのです。生活があるからです。

私が職にしがみついた背景には、雇用があまり流動的ではない日本社会と、鬱病歴のある人に対するスティグマがあると思います。鬱で職を離れるということが、人生を破壊することがある。

薬に頼らず休養だけで回復するならばそれに越したことはありませんが、そのようないわば贅沢な選択肢は私には選与えられていませんでした。

ベンゾジアゼピンの離脱症状にほぼ2年間苦しんでいても(もしかしたら完全に離脱症状がなくなるまで10年くらいはかかるかも知れません)、私は薬を飲んだこと自体はあまり後悔はしていません。

それはただ、神経を麻痺させる薬の力を借りて鬱を乗り切っただけのことです。

そしてそれは薬のお陰なのであって、決して気の持ちようや精神力の強さのお陰などではありませんでした。

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