日本学術会議の問題に伴って、特に文系の学者・研究者が社会からいかに嫌われているかということが明らかになったような気がします。
一般的に、理系=役に立つ/文系=役立たずという認識があることに加えて、研究者になれるのは大学院や留学の学費(およびその間の生活費)を出せる余裕がある家庭に生まれた人が多いからなのではないかと思います。もちろん、その分野の専門家として業績をあげることが出来るのは本人の資質や努力の部分がありますが、それよりもそのような余裕ある家に生まれたかどうかが先に問題になるのです。
さらに、法律学・政治学・社会学などの分野の人の中には、自分の信じるイデオロギーを広めることが自分の仕事だと思っている人が少なくないようだということがこの件でわかりました。
いわゆる優等生、エリートが嫌われている理由は、自己責任論を信じているからではないかと私は思います。自分は努力してきたので、そのことで結果を出したと思っている。そして、そうでない人は単純に努力が足りないと思っている。
つまり、努力した人は、努力をしていないように見える人が例えばリストラされたりするのは努力不足=自己責任と捉えがちです。成績が悪いのは勉強しなかったから、というのと同じ理屈です。
それが大きな間違いだと私は思います。
努力をしたからと言って必ず結果が出るとは限りませんし、そもそも努力させてもらえる立場や状況にない人もいる。
そして、ここが一番のポイントですが、努力=善ではないということです。
無意味な努力などはしない方がましなのです。そして、もしも苦労せずに結果を出せるならばそれに越したことはないのです。
結果が出るかどうかについては、運の要素を無視することは出来ません。いわゆるエリートに欠けているのは、自分の出した結果には運がそれを助けた部分が少なからずある、という謙虚な認識だと思います。
Comments