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梅雨入り前には6月なのに暑い日が続いていましたが、私が小学生だった頃の真夏の気温がとても暑い日でせいぜいそれくらい(32〜3度)だったと思います。当時の私の家にはエアコンはありませんでしたが、それでも暑くて困ったことはありませんでした。それ以降、夏は暑くなる一方です。

神戸から京都に引越したときに夏の暑さに耐えられるかが気がかりでした。京都は盆地なので気温は高く感じますが、湿度は神戸より低く感じます。それでも欧米人観光客にとっては信じがたい暑さのようで、4月の終わりくらいから半袖やノースリーブ姿の人が多いです。

どんなに気温が高くても、昔の日本人は衣替え前に夏服は着なかったのですが、気候の変化でそうも言ってはいられなくなりました。ただ和服だけは別で、季節によって生地や柄などが決まっています(今成人式で着られる振袖は例外で、盛装という意味からどんな季節でも着られる柄にあえてしていることがほとんどだそうです)。例えばどんなに暑い日であっても、春に浴衣を着て街を歩いているとちぐはぐに見えます。

ある人によれば、日本文化の中核をなす特質は季節に対する感覚の鋭さで、それ以外にはほとんど何もないのだそうです。

それを聞いて、反射的に日本文化はそれだけではないのではないかと思いましたが、よく考えてみるともしかしたらそうなのかも知れません。俳句が典型例で、たった17文字の中にあえて季語を入れるルールです。移り変わるもののはかなさを表現することにおいては、日本人には確かにすぐれたところがあるようです。

夏は花火のようなもので、夏が来るのは何となく心が躍ると同時に、始まる前からその終わりの淋しさやせつなさが見える、そんな感覚も日本的なものかも知れません。

 

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