以前、友人から寛容さに欠けると言われたというようなことを書きました。
それから何年も経ちますが、寛容さとは何かずっと考えています。
人格障害と思われる肉親と接した経験から、私は自分の意思というものを極限までなくそうとしたことがあります。私の自由意思が彼らには邪魔だったようだからです。
つまり軋轢を避けるために言いなりになっていた。
その結果鬱になり、自分の存在ごと消したい衝動に何度も駆られることになりました。
ですが、ギリギリまで突き詰めて考え、相手の人格を認めるためには、自分というものがまず存在しなければならないということに思い当たりました。
人格障害者とのやりとりはともかくとして、まず自分という存在があって初めて相手のことを考えることが可能なのではないでしょうか。
私は完璧主義なところがあって自分で自分が嫌になってしまうことも多いのですが、たまには自分で自分を許すこともあっていいのではないかと思うようになりました。
それが人に対して寛容になる第一歩なのかも知れません。
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