言葉

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ブログに過去のことを色々と書いていて思うのですが、過去のことを言葉にすると何となく鬱にはいい感じがします。もちろん主観的な記事になるので読まれる方は全然面白くないと思うのですが、カウンセリング的な効果があるようです。

例えばトラウマというには言葉が大袈裟に過ぎるのですが、私はミカンを見るたびに胸が苦しくなります。両親は喧嘩の絶えない夫婦で、とにかく私の食卓の記憶と言えばまず毎回のように父が怒っていた姿です。怒りの対象は母のことも、私のことも、第三者のこともありました。

私が小学校低学年だったある時も食卓で酷い喧嘩をしていて、一段落というのでしょうか食後父が寝室に行ったので、キッチンで母が私にミカンを食べようと言い、2人で皮をむいていたところに父が入って来て、私たち2人がミカンを食べていることをなじり始めました。頭に来たらしい母が血相を変えて「私は出て行く!実家に帰る」と叫んで、むきかけのミカンをすごい勢いでゴミ箱に投げ捨てたことを昨日のことのように思い出します。

母が出て行くと口にしたのを聞くのはそれが最初のことだったと思います。私は両方の剣幕に対して大変な恐怖を覚え、何故か自分もミカンを捨てなければと思ってゴミ箱に入れ、自分の部屋に逃げました。

冬になってミカンを見るたびに(というと、私の場合スーパーマーケットに行くたびにということになりますが)その時の恐怖心がよみがえり、積極的に食べようという気になれないでいます。

それ以降も数え切れないほど見苦しい夫婦喧嘩をしていましたので、本人たちは覚えてはいないでしょう。そして食事というと朝夕を問わず不機嫌な父がガミガミ怒っているということが多かったのですが、必ず3人一緒に食べることとされていました。大学生のときにはあえて両親が食事を済ませた後に帰宅したことも結構あり、それが気に入らない父はさらに不機嫌になり、手がつけられない感じでした。ミカンを見ると次々にそんな記憶が浮かんで来ます。

楽しい団欒の記憶がある人には、あまり想像がつかないかも知れません。

このように文章にすると大した経験でもない訳なのですが、書いているだけで血圧が上がるような錯覚に陥る感じがします。ここに書こうとしてもなかなか書けないこともあり、そんなことが積み重なって鬱になったような気もします。

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