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では、普通の善意の人がなぜ毒親になり、パワハラ上司になるのか。

それは、自分以外の人を一種の道具としているからです。

何の道具かというと、自分の欲望を実現させるための道具。

もちろん、人は何かを望み、求める存在です。

例えば、食欲を満たすために人は何かをします。

そこになっている果物を取って食べる。あるいはレストランで食事をする。あるいは妻に食事を作ってもらう。あるいは鯨を捕って食べる。あるいは店から掠奪する。

欲そのものは善悪とは関係がないこともありますが(仏教の教えでは煩悩といって良くないとされますが)、行為には善悪が関係してきます。

例えば奴隷労働のように、掠奪のように、人を自分の欲望を満たすための自由意志のない道具とすることにより、人は「悪」をなすと一応言うことができるのではないかと思います。

人の自由意志を奪い、思い通りにすることは「悪」の始まり。

人を自由意志のない状態にするということは、昨日書いたような自分の心の中にある矛盾を押し付けることも含まれます。

例えば、娘に対して自分の果たせなかった夢を実現して欲しいと願うと同時に自分の手の届く場所にとどまっていて欲しいとも願う母親は、どこにでもいます。

そんな母親のことを思えば思うほど、娘はどちらを選ぶこともできない状態となり、余裕を失い自分の意志というものを見失ってしまうことがあります。その結果母親の道具となる。

逃げ場のない相手に矛盾したことを求める(自分の課題を投げる)。

それも、誰の心にもある「悪」の始まりの一つです。

自分が解決すべき課題や引き受けるべき矛盾を相手に投げるイメージですが、投げられた方はそもそも自分の関与できる問題ではないので解決できず困惑するばかりです。

悪い人だから毒親になるのではなく、自分の中にある課題、すなわち「ないものねだり」「業」に気付けないから毒親になる、ということではないかと思います。

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